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        <title>社長のごじゃっぺブログ</title>
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        <description>”ごじゃっぺ”とは、私の故郷の茨城県の方言です。この言葉は、「いい加減な」と言う意味です。会社のブログにこの様なタイトルを付けるのは「不適切」と言われるかもしれませんが、今の世の中は価値観が多様化し、道徳概念さえ個人差が出てきていますので、ブログの内容は私の独善的な問題定義を前提としていることを理解していただくためです。なお、私の半可通な知識で書いたブログの内容について皆様のご意見を期待しています。</description>
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        <copyright>Copyright 2012</copyright>
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            <title>財政赤字が政治の本質を勘違いさせている</title>
            <description><![CDATA[<p>財政赤字は予算の正しい使い方で陥ったのならば増税で解消することは当然である。問題は官僚の天下り先のためや政治家の選挙のために費やされた無用な予算の為に赤字になったのなら増税で解消など言語道断であり、その根を絶たないと再度赤字財政になるので増税など認めるべきではない。官僚も政治家も国民が過剰な要求をしたので財政赤字に陥ったなどと昨今は考えているらしいが、国民の大多数はサラ金財政なども求めてはいなかったし、何の対策も打てないで1000兆円近くの借金を国がするとは思いもしなかった筈だ。国会議員どもは自分の選挙の為に甘い言葉で国民に道路や橋などの建設を安請け合いして来たにも拘わらず、自分の責任を否定をするかの様な国民は国家に甘えてばかりで厳しさが足りないなどと放言している。此処での議論は過去に遡ることではないのでこの批判はいったん矛に納めて次の議論を展開したい。国も地方も箱物や過剰なインフラの投資で軒並みに財政難に陥っている。この現象は何も日本ばかりでなく世界的な問題だ。金融資本主義的な考え方はこの様な財政難から生まれてきたといっても過言ではない。国家や地方自治体が財政難に到った理由は色々とあると思われるが、今の問題は国家や地方自治体の財政難の解消の仕方である。行政も民間企業と同様にバランスシートを作るべきだとか企業の経営的な手法で支出を大幅に削減する方法とかが指摘されている。又、平行して運用益で支出過剰な分を補填する金融商品に投資する方法も提案されている。確かに、財政難を解消するには支出を大幅に減らして増税しか方法がないのは確かだが、最近の政治の動向を見ると財政難解消が目的化し、政治が行われていない危惧を感じる。無駄な支出を削減するのは当然なのだが、良く分析すると縦割り行政の中でバランス良く支出を削減しているので、本当に必要な所にお金が回っていない面も出てきている。又、制度を変えたことにより、弱い人達に皺寄せが出てきている面も多く見られる。</p>
<p>政治とは何かと問われれば、弱者の救済なのである。資本主義の中の競争社会にあって誰もが勝者になれる訳ではないし、社会は無用の用の様な存在があって初めて成り立っているので、そこに政治が必要なのである。企業経営者は弱者など省みることはないのである。無用な支出を切り捨て不要な社員を辞めさせて黒字経営になれば名経営者と呼ばれるのである。然し、政治家は企業経営者とはことなり、不法な競争を監視し、企業が切り捨てた弱者の再生や老後の仕組みを作ることなのである。尤も、企業経営者の中にも優れた人がおり、企業人でありながら政治家としての素質を兼ね備えて経営にあたった者もいる。戦前では、カネボウの中興の祖といわれている武藤山治、渋沢財閥を作った渋沢栄一、戦中戦後に出光興産創業者の出光佐三などである。ちなみに、松下政経塾を作った松下幸之助は先の人物と比較したら企業人としては上かも知れないが、政治は飽くまで企業の為と考えた人物なので、私の中では高い評価をしていない。翻って、最近話題の橋下大阪市長はどうかと言うと、彼も本質的には政治家とは言えない。その理由としては、彼の政策は金融資本主義的な考え方が根底にある様に見れるからであり、政治の本質を理解しているかどうか疑問だからである。勿論、私は大阪フィルハーモニー交響楽団の解散に反対している橋下市長は文化を蔑ろにしていると批判している人達とは考えを事にする。全国で最大の生活保護者を抱えている大阪市に対して文化云々の批判は当らないと思うからである。文化を守るには行政のアシストは必要だが、基本的には豊かな社会になって尖閣諸島の購入に短期間で5億円以上も寄付金が集まる日本なので、どうしても必要なら多くの人の寄付により財団を設立して守れば良いのである。全部税金で守る必要はない。大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽家たちも大阪市の職員に甘んじた為に採算を度外した演奏活動しか行わなかったと推定されるので、楽団員にとっては不幸なことと思われる。私は自助努力を怠るものを救済しろとは言わない。問題は財政赤字解消が目的化した政治が横行するのを懸念するからである。政治の世界は数の必要性を痛感するが故に小沢一郎の様な選挙に勝つだけを目的化した政治家を生み出したのである。同様に、財政赤字解消だけを目的化した政治家の出現は貧富の差を生み、犯罪を増やすだけだからである。日本人は世界にも類を見ない80％の国民が中流意識の社会を実現した国である。インフレ経済でない低成長経済において同様な社会を実現する政治を考える必要があると思料する。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/05/post-499.html</link>
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            <pubDate>Tue, 15 May 2012 07:58:53 +0900</pubDate>
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            <title>尖閣諸島購入を巡る寄付金に対する疑問</title>
            <description><![CDATA[<p>石原都知事が尖閣諸島の購入を米国で宣言して以降、東京都には購入資金に対する寄付金が寄せられ、現時点で４億円に上るという。マスコミなどは領有権に対する日本政府の弱腰に対する国民の憤りが寄付金の形で現れたと言う報道をしている。しかし、私はこの俄か愛国心に対して全てがマスコミの報道する様な善意の寄付とは到底思われないのである。尖閣諸島は中国がどの様に主張しようが日本の領土であることは疑いもない。中国としても尖閣諸島の領有権を主張しているが、韓国の竹島占有の様な強引な手法を取ることは国際法上難しいのは確かである。今回の展開を冷静に分析しないと戦前に間違った方向に導かれた事の二の舞となる。先ず石原都知事が尖閣諸島の購入をこの時期に宣言した理由である。然も、米国において何故宣言したかであることを考える必要がある。石原と言えば、三男か四男か知らないが、選挙に落ちて浪人している息子がいる。先の都知事選の出馬や今回の新党に対する動きも全ては可愛い馬鹿息子の為といっても間違いはないだろう。その様な時期に尖閣諸島購入問題に言及したと言うことは、裏で何かの取引があったと考える必要がある。尖閣諸島問題はに日中間の大きな政治問題になっている。この問題に火をつけるのは日本と中国との政治的な関係以上に企業における経済的な関係に影響を及ぼすことは目に見えている。敢えてその様な問題提議を地方政治家である石原が行うことは国家に対する越権行為である。先ず、この様な問題を分析する時に必要なのはマスコミの動きである。日本のマスコミは間違いなく米国の情報戦略に組み込まれているので、石原都知事の尖閣諸島購入に対してどの様な報道姿勢かで判断できる部分もある。面白いのは尖閣諸島購入宣言に端を発した寄付金である。いち早く取り上げて報道するところを見ると、石原都知事の発言には外国勢力が絡んでいると分かる。東京都に要請したいのは、奇特な寄付者の氏名公表を是非行って欲しいことである。国際謀略に石原都知事が加担していなければ公表できるし、逆に寄付金が疑わしくないと分かれば、今の時代に身銭を切ってまで愛国心を持っている人達に敬意を表したい。日中間で紛争が起きれば得をするのは日本人ではない。外国勢力である。中国の経済に奥深く進出し他国の追従を許さないほど先行利権を有している日本を外国勢力が黙ってみている訳がない。民主党の前原誠司が起こした尖閣諸島における中国漁船の拿捕も京大の米国シンパの流れを汲む事件である。日本人は明治維新の時には優れた人達が国際謀略を乗り越えて国を守ってきたが、大正、昭和と変わり、島国の悪い面が出て国際謀略に弱くなった。況して戦後の平成の時代では、外国勢力に利用される国賊紛いの政治家や官僚、そして学者で溢れている。勿論、日本国民を無防備にしてコントロールしているのは米国だが、それに一役買っているのは電通など広告会社とマスメディアだ。最近の動きとして日本における中国シンパに対する攻撃が激しくなってきていることから、欧米諸国は中国に対して人権問題で揺さぶる計画であり、それに日本を尖兵として遣う考えと推測できる。尤も、フランスではサルコジに変わり社会党の大統領が出現したので中国に対する欧米の中国に対する足並みが揃うかどうか不明だ。何れにしても、東京都は尖閣諸島購入に対する寄付金の氏名を公表し、外国勢力の謀略に乗じていない事を証明すべきだ。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/05/post-498.html</link>
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            <pubDate>Fri, 11 May 2012 08:34:48 +0900</pubDate>
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            <title>過去を語ることの大切さ</title>
            <description><![CDATA[<p>私は戦前生まれでないので残念ながら戦前戦中の事は経験していないので経験談として話す事は出来ない。勿論、戦後の事も少なくても1965年以降でないと記憶に残っていないので語れない。人の記憶も年月が経過すると塗り替えられて"虚偽の記憶"が形成されるとの事なので、その事を理解して過去については語るべきと思われる。なお、経験しない時代の記憶でも親などからの情報で記憶されることになるので、先の虚偽の記憶を踏まえても書籍の情報よりは確かな過去の記憶をを入手していると言える。私が過去を語るときは少なくても書籍を通して得た知識ではなく、私自身の経験や身近な人達から聞いた事実を通してである。尤も、身近な人達からの過去の経験だけでは世界観が狭くなるので、ドキュメンタリーの本や過去を記した資料なども渉猟して過去を広げてはいる。しかし、責任をもって言えるのは少なくても私自身の記憶と経験した本人から聞いた記憶と言える。何故、過去を語る事に拘るのかと言えば、最近は余りにも過去の出来事が歪められて伝えられてきている怖さを感じるからである。終戦後に20歳であった人達も今や87歳である。一方で平成生まれの人達は23歳になるのである。過去を語る事は後世の世代が同じ過ちを繰り返さないことに繋がるので大事な事と考える。特に、最近は明治維新に習って改革を推し進めようとする人達が多いが、その人達の歴史認識や当時功績のあった歴史的な人物に対して学んだ形跡が少ないと感じるのは私一人であろうか。維新や改革の言葉は今や安売りの商品の如くチープなものに成り果てている。情報が氾濫する時代にあって偽の情報に惑わされずに知見を育てるのは難しい時代になった。しかも、議論のすり替えの類の情報で溢れている。この様な時代には、それぞれが過去を語る事が重要であり、真実を見極めるのに役に立つからである。地位の高い人や有名人が語ると真実と錯覚する間違いを指摘するにも役立つからである。</p>
<p>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/05/post-497.html</link>
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            <pubDate>Wed, 09 May 2012 08:08:48 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>関越自動車道で起きたバスの事故に見る小泉改革の弊害</title>
            <description><![CDATA[<p>建築確認申請・承認の民間委託で起きた構造偽造事件を始め、小泉改革が社会に害をなした事例は枚挙に暇がない。今回の関越自動車道のバスの事故も規制緩和の弊害が出たと思わざるを得ない。法律の改正で免許制度から登録制度に変更したことで免許制度の利権構造にメスを入れたことは理解できる。問題は規制緩和後の安全などに対する配慮が著しく小泉改革には欠けていると言う事実だ。今回の事故に繋がる運転手一人の問題も法律的には違反でないと言う。どの様な法律かと言うと、道路法による走行距離で決めているとのことの様だ。この走行距離以外に運転手の健康問題や渋滞問題を絡めていれば今回の様な事故は防げたと思えてならない。先の建築確認申請の問題も然りである。準備（＝能力）も整わないのに時間軸で規制緩和を行ったために、構造偽造を起こしやすい状況を作り出してしまった。法曹界でも裁判の判決を時間軸で評価する様になったために正義ではなく、裁判官の出世競争に巻き込まれて不正義が罷り通っている。検察然りだ。マスメディアはデフレ社会に陥り、グローバル経済についてゆけない日本に対し、明治維新の改革を期待するかの様に世論を誘導しているが、江戸時代に教育を受けた日本人と現代社会の日本人との人間の質の違いを考えているのかと言いたい。今回のバスの事故を起こした会社の名前は、「陸援隊」と言うのを見ると、明治維新に憧れた社長だと直ぐに分かる。この社長が2002年にバス会社を設立したのを見ると正に小泉改革が産んだ申し子だろう。</p>
<p>小泉改革で良く言われる民営化とは、言葉を変えれば資本主義化と言うことだ。今の若い世代は社会主義と共産主義を混同して一方的に社会主義が悪いと批判している。明治維新で資本主義の欠点を見抜いていた経済人に渋沢栄一がいる。彼は資本主義に論語の考え方を入れることを唱えたのである。現代社会に明治維新と同じ改革が出来るわけがない。その大きな理由は人間の質の問題である。現代社会の日本人は倫理観も喪失し、「他人くたばれ、我繁盛」の連中が金儲けに走っている。尤も、日本人だけでなく世界中の人々が熱に浮かされた様に倫理観なき競争に陥っている。</p>
<p>私自身は規制緩和や競争を否定している訳ではない。問題は規制緩和を主導している人達の人間の質や能力を問題視しているのである。勿論、マスメディアに踊らされて効率主義や安い商品を血眼になって追い求める大衆にも責任はある。この様に書いているのも馬鹿らしいほど、人と言うは忘却することで生きている人種と言わざるを得ない。バスの事故の被害者には悪いが、安いものにはリスクがあると言う現実を突きつけてくれた事例としては少しの期間は人の記憶に残るのであろう。正に、現代の政治は大衆の忘却や表面の姿を変えただけで誤魔かせる中で行われている。維新を唱える前に倫理観について議論しろと言いたい。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/05/post-496.html</link>
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            <pubDate>Tue, 01 May 2012 08:25:00 +0900</pubDate>
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            <title>久しぶりに登山家の伝記を読んで</title>
            <description><![CDATA[<p>メタボ対策で毎日ひと駅前で降りて帰宅するのだが、週末にはその駅ビルの本屋に立ち寄って面白い本があれば購入するのが習慣となった。先週末は購入してまでも読みたい本もなかったので店を出ようとした時に山岳コーナーが視界に入った。時間もあるので偶には山岳の本でも見るかと足を向け、「単独行者」の本のタイトルに惹かれて手に取った。本の主人公は、昭和初期に活躍した伝説の登山家「加藤文太郎」の生涯が書かれたもので、副題に「新・加藤文太郎伝」と記されていた。タイトルの単独行に惹かれたのは、私自身が学生時代に単独登山を多く経験していたからであった。私の山登りは18才になってからであった。東京の高田馬場の下宿先で出会った同郷の小野君に誘われて丹沢山系に足を踏み入れたのが登山に目覚める切欠だった。その後、彼とは秩父山系や南八ヶ岳などを一緒に登ったが、後は大学の同学科の南雲君を誘った以外は常に単独行であった。単独行は若さゆえの無茶であったかもしれないが、大学の山岳部やワンダーフォーゲル部に所属して集団で登山する事を好まなかったので、単独行は自然な成り行きであった。しかし、今考えると指導者もいない登山で何度も未熟さゆえの危険な目にあったことは確かであり、私クラスの登山で大袈裟かも知れないが、現在生きているのも不思議なくらいの体験も有している。今振り返ると、会社経営にも山登りの体験が生きていることは確かで、人生に「ｉｆ」はないが、それでも私が山登りをしていなければ、現在と違った経営者になっていたことは間違いないと断定できる。その様に思えるほど自然に立ち向かった時の人間の弱さを思い知ったからである。今でも大学の同学科の南雲君と会えば、当時の登山の話が出て貴様の為に死ぬ所だったと酒の肴として皮肉を言われる。彼との登山は二回だけであったが、その二回とも私の無謀な計画で彼を窮地に追いやったことは否定できない。確かに、春山の北八ヶ岳と南八ヶ岳の縦走ではその年には例年になく残雪が多く、硫黄岳から横岳に入り赤岳に到る過程では困難を窮めた。然も、ピッケルもアイゼンも持たずに入山した報いが堪えた。死ぬ思いで赤岳山荘に着いた時に、山荘の主人に我々の軽装を見て驚かれ、山荘の土間に土下座をさせられて説教させられた苦い思い出である。遭難者を探すのには二重遭難のリスクもあり、我々の様な無謀な登山家に対して山荘の主人は腹が立ったのであろう。昭和初期の伝説の登山家の新伝記を読んで、登山の危険さが一方では登山の魅力であることに改めて気が付かされた。人と言うのは危険の中に身を晒すことで存在を確認するのかもしれない。勿論、登山の途中の絶景や登頂時の達成感は何事にも替えられないものであり、北アルプスの槍ヶ岳山頂に早朝一番乗りをして日の出を迎えた壮大なパノラマなどは言葉にならない程の感激である。又、雪渓の下を流れる水と雪渓の氷で飲むウイスキーは一番美味い酒であった。社会人になってからは組合活動で執行入りして文化部長時代に組合員を連れて登山したこともあったが、それも30才を過ぎて辞めてしまった。登山は不思議なもので辞めると急に熱が冷めるものである。しかし、バブル経済が崩壊後に一度山登りを再開したことがあった。多摩山系から始め、丹沢山系、秩父山系と足を伸ばしたのだが、日本アルプス山系には体力的に戻れずにその内に仕事も忙しくなり山登りを辞めてしまった。見果てぬ夢かもしれないが、もう一度北アルプスなどに登り美味い酒を飲んで見たい誘惑に駆られる。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/04/post-495.html</link>
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            <pubDate>Fri, 20 Apr 2012 07:57:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>福祉と税の一体改革による消費税増税のために隠されている真実</title>
            <description><![CDATA[<p>消費税の増税前には更なる行政改革も必要だが、消費税自体の中身の再検討も重要なのである。しかし、今回の増税には福祉と税の一体改革と称して議論されている為に5％以上にアップする際に検討しなければならない消費税の中身については全く言及されていない。海外の消費税は衣食住に掛けていないので20％以上になっても大きな反対運動は起きていない。マスコミは意図的であろうが、海外の消費税率は日本と比較して高いとだけ報道し、日本も国が多額の借金を抱え、然も高齢少子化社会に入ったので増税は必要の一点張りだ。特に、御用新聞の日経新聞の記事は読むに耐えない。業界紙だからと見過ごすには日経新聞は一般紙並みの信用性を持ってきたので看過するわけには行かなくなっている。日本人は忘れやすい国民と言われるが、特にＴＶ文化が浸透してからは顕著と思える。自民党の竹下内閣の時に消費税が導入されたのであるが、この時の計画では3％などと低い数値ではなかった。しかし、国民の猛反発を受けて当時の大蔵官僚は将来に託して3％で妥協したのである。この妥協の産物が5％に引き上げられる時も今回の増税の時にも何等省みられることはない。妥協の産物とは、予定税収を確保する為に衣食住に掛けたことと二重課税の問題、更には売上げ税的な性格に変えてしまったことである。ガソリン税に課税するなど論外なのだが、自動者を乗らない人には関係がないので今でも改定されていない。都会の住民が田舎の住民より多くの税金を支払っていると不満を口にするが、都会の住民は田舎では車なしでは生活できない為にガソリン税に課税されている消費税の二重課税の負担を強いられている現実を知るべきと思われる。日本の消費税は売上税なので赤字会社でも当然に消費税は発生する。消費税の還付は物品を購入すると受けられるので、キャッシュフローが多い会社は有利な税金だ。中小企業などは常に資金不足に悩まされているので投資を増やすことは厳しいが、そうすると消費税の支払いが増えてくることになる。一方、個人も衣食住に課税されるので、増税は生活に直接影響が出てくる。特に、先進国では景気対策に住宅政策を織り込まなければならないのに、住宅取得に対する課税が増えれば景気回復にも悪影響を及ぼすのである。本来、3％の消費税だから許された衣食住に対する課税や二重課税問題も10％に引き上げられるとなれば話は違ってくるのである。民主党の藤井裕久議員は消費税アップで住宅取得に負担がますならば分割納税も考慮すべきと発言しているが、本末転倒の議論だ。幾ら間接税と言っても衣食住に対する課税は成長なしの経済で給与が上がらない状況では生活が苦しくなるだけである。本来、消費税とは贅沢税的なものとなるはずである。それがいつの間にか弱者を苦しめる税金に替えられ、金持ちの個人や企業が得をする税金に変わってしまったのである。財務官僚は知恵が回るので、消費税の本質的な問題で議論されるのを避ける為に、福祉と税の一体改革などと国民の目を誤魔化す方法を取ったと思われる。尤も、馬鹿な国会議員も同様に消費税の欠点を問題にするどころか現状ままで10％、更にはそれ以上にアップする考えでおり、消費税の真実が見えなくなっている。この為、消費税増税の反対ではなく、消費税の中身の議論に持ち込んで、増税の影響が弱者に及ばないようにする議論が必要な事を訴えかけるべきと思料する。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/04/post-494.html</link>
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            <pubDate>Fri, 13 Apr 2012 08:14:09 +0900</pubDate>
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            <title>中野のサンモール＆ＢＲＯＡＤＷＡＹ</title>
            <description>&quot;サンモール＆ＢＲＯＡＤＷＡＹ&quot;とは東京都中野区のＪＲ中央線中野駅北口を出て目にするアーケード商店街の名称である。私は学生時代の一時期にアーケード商店街を横目で見て通学する場所に住居を構えていた。先日、設計士と打ち合わせていた時にこの商店街の事を設計士は「中野ＢＲＯＡＤＷＡＹ」と言ったので&quot;？&quot;と思った。私の学生時代には確かに「中野ブロードウェイ」と言ったのだが、卒業数年後に「中野サンモール」に名称が変わった記憶があったからである。この事が気になったので、先週土曜日に春真っ盛りの桜の花見とメタボ気味の体をスリムにするための一石二鳥を兼ねて自宅から中野まで散歩することにした。散歩ルートは自宅から高千穂大学と善福寺公園を通り抜けて善福寺川の桜並木までを一応考えたが、後は自由に動くことにした。この為、善福寺川の桜並木が一望できる五日市街道の橋から観桜した後は、取り合えず五日市街道を高円寺方面に向かった。同街道沿いには未だ昔懐かしい古い店が所々に残されてはいるが、全体的には新しい建物になり、個性がない街道沿いになってしまった。只管歩いていると青梅街道に交差したので、今度は青梅街道を新宿方面に向かった。環七を超えて少し歩くと、東高円寺商店街の町並みが見えたので散歩の時間は決めていなかったので寄り道を決めた。都内には未だこの様な商店街が結構残されてるが、東高円寺商店街も生き残っているひとつと思われた。面白いことに斜めの商店街を進んだ先の住宅街を行くと、このルートが意外と中野の近道であることが分かった。適切でないかもしれないが、頭に「急がば回れ」と言う言葉が浮かんだ。そう言えば、中野はクレジットを考案した丸井の本社がある町でもある。中野駅に近づくにつれて建築中の2棟の高層タワーマンションが見えてきた。反対運動も起きている様だが、工事はお構いなしに進んでいる。圧倒的な低層階の建物の場所に突如出現した様な29階建の2棟のマンションは確かに違和感のある光景となっている。不動産業界にとっては高層マンションは利益のでる美味しいプロジェクトだが、街つくりを考慮していない高層マンションの立地は論外と思われた。なお、今回の散歩は途中で花見をしたこともあり中野駅の到着には2時間位要した。中野駅北口に回り商店街の看板を見ると「サンモール」であった。変わっていないと思い乍ら、サンモールに入り散歩で喉が渇いたことと小腹も空いたので、先ずは喫茶店を探した。昔と違って何処でも喫茶店は少なくなっているが、サンモールにも同様であることが分かったが、１階には正に1件だけ昔の喫茶店が残っており、然も店内は新しい空間も演出されていた他、従業員のマナーも良く、更にコーヒーや軽食の類も美味しかった。腹を満たしサンモールを通過して反対側の看板を見ると「ＢＲＯＡＤＷＡＹ」となっていた。通りの何処で切り替わったのかと再度アーケード街を戻ったら、建築当事は高層マンションで有名になった側の入り口に「ＢＲＯＡＤＷＡＹ」の看板があった。学生時代にはカタカナの「ブロードウエイ」であったが、サンモールと棲み分けしてからはローマ字の「ＢＲＯＡＷＡＹ」になって復活したことを理解した。間際らしいと言えば間際らしいが、商店街の意見を纏めるのには両方の名前を付けることで解決したものと推測できた。サンモール商店街は2階位までだが、マンション階の部分は4階部分まで店舗があって昔は繁盛していた。卒業後大分経ってから一度懐かしくて来た時には3階以上は店舗の営業が少なかった記憶があった。今回も久しぶりに2階、3階、４階に上がったのだが、驚いたことに完全に店舗街として復活していた。復活の理由は外国製の時計売り屋とフィギアやマニアックな店舗がずらりと並んでいた。合間に占いの店もあった。中国人のお客もいた。そう言えば、中野サンプラザに事務所がある若い行政書士の方がｆａｃｅｂｏｏｋに仕事を頑張った時には高級時計を買う事を載せていたが、成る程、ＢＵＲＯＡＤＷＡＹの商店街の時計売り場に触発されたことが分かった。何店舗もある高級時計店のお客は皆若い方であった。彼らが何十万もする高級時計を購入しているのには改めて時代の差を感じた。同時に中野ＢＲＯＡＤＷＡＹの復活にも驚いたと同時に地方も商店街も含めて再生には何が必要かも考えさせられることであった。勿論、若い人にとっては中野ＢＲＯＡＤＷＡＹは復活したのではなく、存在しか知らないのも事実なことも認識した。</description>
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            <pubDate>Mon, 09 Apr 2012 08:21:28 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>東京タワー</title>
            <description><![CDATA[<p>東京タワーは、日本の経済成長の象徴的な存在として長い間親しまれてきた。小学生の修学旅行に上野動物園と浅草の浅草寺、そして東京タワーを見学した。初めて東京タワーに上った時には高いのに驚いた。当時の建物の大半は建築基準法の制約もあり、9階建てが最高の高さであったと記憶している。このため、高台に建設された東京タワーは一際高さの存在感を増していたのである。次に、東京タワーを訪れたのは中学3年の時であるが、東京の越中島にあった東京商船大学（現海洋大学）で行われた国立鳥羽商船高等学校（現国立鳥羽商船高等専門学校）の受験で上京した際に上った思い出がある。三度目は18才になり、東京の大学に入学する前の予備校時代に東京タワーを見学した記憶がある。この時代には既に千代田区の霞ヶ関に三井不動産が建築した日本の超高層建物の曙になった霞ヶ関ビルがあり、又上京した年に浜松町の世界貿易センタービルが竣工し、その翌年には新宿での超高層ビル第一号の京王プラザホテルが開業したが、東京タワーの美しさは貴婦人の如く衰えなかった。その後、大分時間が経過し、今から25年前に会社の本社 
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">から東京タワーが見える港区虎ノ門1丁目で仕事をすることになった。特に、</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">社長室のデスクから見える東京タワーは格別であった。それが規制</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">緩和の悪影響で隣接の土地に従来にない高い</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">建物の建築が可能となり、会社からの東京タワーを眺望できる風景が失われてしまった。今では会社近くの路上でビルの谷間に上部だけ見えるのが精一杯となってしまった。直下型震度7以上の地震に怯える人々を見ると、何で地震の巣の上の東京で超高層ビルやマンションを造り続けたのか気が知れない。超高層ビルの林立でデジタル放送において東京タワーの高さでは難しくなり、スカイツリーの建設が行われて今年完成した。偏見かもしれないが、スカイツリーは東京タワーの様な美しさがなく、私から見ればお墓に聳え立つ塔としか見えない。職人技で建築した東京タワーに人間味が感じられ、コンピューターを駆使した多くの新技術で建築したスカイツリーに空虚さを感じるのは年を取った為なのであろうか。多分、私はスカイツリーに上ることはないと断言できる。単なる大人になる時代に東京タワーに出会ったノスタルジアで両タワーを比較しているのではない。東京タワーに温かみがあり、スカイツリーに寒々しさを感じるのは正に現代の世相を反映していると思われるからである。</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="NCM_0057.JPG" src="http://blog.totakukikaku.jp/NCM_0057.JPG" width="245" height="327" /></span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span></p>
<p>
<p>&nbsp;</p>
<p></p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/04/post-492.html</link>
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            <pubDate>Fri, 06 Apr 2012 08:33:14 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>液晶ＴＶの故障と人間の質について</title>
            <description><![CDATA[<p>月曜日の朝突然にＴＶの画面が真っ黒で映らなくなり、出社前の天気予報とニュースが見れなかった。以前に電源の入り切りで直した経緯があるが、今回は音だけ出ているので基盤か何かが故障したものと推定され、買い替えなければならないと言う思いが過ぎった。出社して午後には地権者の方が来社され、今回の新規契約について説明を行ったのだが、80歳になられた地権者の方の頭の良さには敬服した。この方は文部科学省のつくば研究所の教授を勤められたかたで、定年後の10年間は私立大学の数学の教授であった。今は悠々自適の生活だが、今でも最新の技術に目を通して知識の豊富さには驚かされる。偶然なのだが、この方は私の出身地に所在した旧制水戸高等学校に学んでおり、その後東京工業大学の物理学科に進まれた。人生の大半を研究に費やされ、記憶ではノーベル賞を受賞した益川さんとはつくばの研究所で一緒だった事もある。私が最初にお目にかかったのはつくばの研究所に在籍中の今から25年前であった。当社が開発した共同開発ビルの地権者の一人であった。その後は共同ビルの管理組合の理事をお願いしたこともあり、管理組合の運営にも力を尽くされてきた。今回の契約の話は直ぐに終り、何時もの通り雑談に入ったのだが、政治経済はもとより、専門の領域の物理の最新動向や複雑性科学など知見の豊富さには恐れ入った。弟夫婦から80歳のお祝いを貰って初めて80歳になったことに気が付いたとのことで、頭の中は今でも青年なのかもしれないと思われた。しかし、この方と話をする度に人間の質について考えさせられる。この方の父親は朝日新聞に勤務していた方だが、当社が開発にお伺いした時に健在だったのは母親だけであった。私はお会いしていないが、先代社長からこの方の母親の頭の良さについて聞いていたので、その母親ありて息子かなと言う気がした。帰宅してＴＶが壊れたので何時もの生活とは変わり、ラジオをつけて音の世界で食事をし、その後寛いだ。この時にＴＶを見ていた時の素通り感と異なり、耳で聞いた音が頭の中で色々な物を想像しているのに気が付いた。学生時代にマクルーハンのこれからは映像の時代という事が指摘され、現代は正にその言葉が具現化した社会だが、それ以前にＴＶが出現して一般大衆に入り込んできた時代に大宅荘一と言う評論家が、ＴＶについて「一億総白痴化」をもたらすと警鐘を鳴らしていたことを思い出した。ＴＶが故障した為にラジオを聞いていたが、最近ボケ気味のパートナーも食事後に新聞などを読み出して面白いことが書いてあると言った時には、大宅荘一の言葉が改めて偉大な批判と気づかされた。現代人が昔の人のように思慮がなく、且つ配慮に欠け、知恵が不足しているのは正に映像社会の弊害と考えさせられた。推測だが、先の年配の地権者の方は余りＴＶを見ていないのではないかと思われた。残念ながら当家のパートナーはＴＶなしの生活には耐えられない見たいで、今日にも家電大量店に駆け込む勢いである。やれやれである。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/04/post-491.html</link>
            <guid>http://blog.totakukikaku.jp/2012/04/post-491.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 03 Apr 2012 07:48:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>福井市の散策</title>
            <description><![CDATA[<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>先週、福井大学で原子力学会があり、学会に参加する知人から誘われて初めて福井市を訪れた。距離的に飛行機で行く事を考えて調べたら福井空港はあるのだが規模が小さく一般旅客の空港ではなかったことが分かった。この為に、最寄の空港を探したら石川県の小松空港であった。飛行機は移動時間は早いが、搭乗時間や空港から目的地までの走行距離を考慮したら新幹線で行く方が良いことが分かった。勿論、北陸新幹線は開通していないので、東海道線経由で行く時は京都乗換え、帰るときは米原乗り換えと言う選択をした。</p>
<p>今回の福井行きは最初にトラブルに巻き込まれた。不運にも新富士と三島間で人身事故が起きて1時間以上の足止めを喰らった。当然に京都乗り換えの予定の特急サンダーバードには間に合わず、京都駅で僅か15分で次の特急電車の乗車券に取り替えて漸く目的地の福井駅に向かうことが出来た。以前は新幹線で自殺など起きなかったが、ここ数年新幹線で起きている。然も、不思議なことに新富士と三島間である。</p>
<p>漸く、福井駅に着き、先ずは駅近くに取ったビジネスホテルにチェックインして市内の散策に出かけた。予定より1時間以上到着が遅れたので、先ずは福井城跡に行き、その後は幾つかの神社に参拝した。途中で小雨が降ってきたので、アーケードの商店街に飛び込んだが、休日の為に殆どの店が閉まっていた。尤も、良く見ると閉鎖している店舗が多いのに気が付いた。福井はメガネ製造で有名な町であり、全国の中小企業の社長の出身地としてトップになったこともある所だ。その福井でさえ市内はシャッター通りが多く、町に活気がないのが良く分かった。</p>
<p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 20px 20px 0px; FLOAT: left" class="mt-image-left" alt="福井城１.jpg" src="http://blog.totakukikaku.jp/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%9F%8E%EF%BC%91.jpg" width="185" height="308" />地方を訪れて何時も思うのだが、休日に店が休んでいるケースが多い。以前、大分の杵築に行ったときにも丁度日曜日で飲食店も開いてなく難渋した。一応、杵築は観光地としての位置づけと思われたのにである。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">逆に、温泉場などは逆に日曜・祭日しか開いていないレジャー施設も多く、働いていないお年よりも平日に楽しめないちぐはぐな現象がある。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">行政も最近は変わりつつあるが、以前は土・日、祭日は一切業務を行わなかった。この為に、役所から書類を取り付ける為に貴重な有給休暇を取って対応したものである。役所もサービス業なので業務によっては平日に休んで土・日、祭日に仕事をするのが普通と考える。それが出来なければその業務を民間委託か自動化を図れば良い。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">確かに、地方の疲弊は円高で海外に工場移転した事も原因の一つだが、過剰な公共投資で地方経済を牽引してきたビジネスモデルにも問題があった。地方が公共投資に依存する体質は中央から地方に権限と税の移転を行わない限りなくならない。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">地方都市の再生には全国共通化した考え方の除去が必要だが、新築の家を見る度に空しくなってしまう。地域の独自性は地産地消から始まって地域の伝統的な物を復活させることが重要だが、町の商店街が消えて大型スーパーで買い物をする限り無理なことが分かる。良く例えに出るが、地方鉄道の維持を叫ぶ人達が電車に乗らないで自動車を乗り回している現状だ。経済成長がマイナスになり、所得が減少する中では安い商品に頼らざるを得ないが、その事が悪循環となって地方経済を疲弊させているのが現実だ。今更ながらの議論だ。マスメディアは無責任に地方の努力が足りないと批判するが、公共投資経済のビジネスモデルを変えるには、中央集権化した行政を先ずなくすことから始める必要があるということに触れない。江戸時代の様な一つの藩が国であった時代に地方を戻すことが地方の活性化には必要なのである。ＩＴＣ時代には、地方が一つの核となり中央を介さずに必要に応じて結びつくことが効率の良い在り方なのである。その点から言えば、二重行政は失くすべきだが、道州制は必要がない。行政区分は小さくして小回りが聞く効率の良いシステムを構築すべきだ。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">さて、話は逸れてしまったが、福井で驚いたことがあった。市内で知人たちとミーティングを兼ねた夕食を鮨屋で採ったのだが、先ずこの鮨屋が分かりにくいのには難渋した。スマートフォンがなければ夜なので辿り着けなかったと思われた。</span></p>
<p><img style="MARGIN: 0px 20px 20px 0px; FLOAT: left" class="mt-image-left" alt="吉野鮨.JPG" src="http://blog.totakukikaku.jp/%E5%90%89%E9%87%8E%E9%AE%A8.JPG" width="368" height="490" /> 
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;写真では看板の明かりが灯っているが、満席の時にはこの明かりも消えており、然も暖簾も中にあるので店内の入り口は暗く、営業していないと勘違いする店であった。知人は良くこんな店を見つけたかと驚きだが、上手い鮨を食べながら更に驚いたことがあった。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">鮨屋での食事で皆酒飲みなので自然に地酒に思いが行くことになる。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">福井には黒龍などの銘酒もあることを知っていたので、仲居さんに地酒を注文したら、店では置いていないとの返事が帰ってきた。店内を見回すと確かに他県の酒で東京でも飲める酒しか置いていなかった。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">その時に、同伴していた方が昨日の飲み屋にも地酒が置いてなかったことを不満顔で言った。これでは地方再生の意味がないと改めて感じてしまった。幾ら福井人は経済に長けていても、地元の酒を飲まずに安い他県の酒を飲んでいたのでは、論外と思われた。</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">この様なケースは全国津々浦々で見られる光景ならば、地方再生など夢のまた夢と思わざるを得なかった。</span></p>
<p></p>
<p></p>
<p></p>
<p></p>
<p></p>
<p></p>
<p></p>
<p></p>
<p>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/03/post-490.html</link>
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            <pubDate>Tue, 27 Mar 2012 07:49:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>消費税の増税案は最終的に景気指数によって実施を決める条件付で成立か</title>
            <description><![CDATA[<p>財務省の消費税アップのシナリオが最終段階になったと思われる。財務省は東日本大震災と福島原発事故を巧みに利用して消費税アップのシナリオを描いたが、どうやら景気指数によって増税の実施を最終的に判断すると言う誤魔化しで成立の見通しだ。今回の財務省の役人の増税シナリオには隙がなかった。勿論、国民など無視した遣り方は悪例として残り、官僚と国民の乖離は一層増すであろう。民主党反対派の小沢一郎もホッとしている事だろう。消費税反対の拳を上げたものの、自民党の谷垣総裁と野田総理の謎の会談をマスコミがリークして周章狼狽したと推定される。小沢一郎自体は消費税の増税には反対ではなく、飽くまでタイミングの問題と言明している。それが、景気指数と言う実施に条件が付いた事で直ぐには拳が下ろせないものの、最終的には自分だけ国会決議に欠席して終わらせる事になるものと推察される。財務省官僚と野田は最初から決めていたシナリオであろう。小沢にとっても野田総理にとっても早期衆議院解散は避けたい所だ。然し、真っ向から小沢一郎が消費税のアップに反対している状況では、小沢が一番不安がっている解散を持ち出すのが良い方法であり、解散できないと高を括っていた小沢に対して、自民党の谷垣総裁との解散密約会談を流布して小沢に一撃を加えた。日銀が景気回復に向けて動き出したから可笑しいと思っていたら、消費税増税の道筋が見えて来たから、円安を誘導して株高に持って行き、野田政権の支持率アップに転換したのであろう。世論誘導で一役買ったのは財務省次官が天下りした読売新聞であり、情報操作でも事前に手を回していた。今回の消費税の増税で一番の問題点は、二重課税の問題その他を見直す必要があったのに、増税に反対か賛成か終始し、その手の議論が余り行われずに消費税の増税が決まることである。財務官僚は小泉純一郎と言い、野田圭彦と言い、馬鹿な国会議員を篭絡するのは上手い。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/03/post-489.html</link>
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            <pubDate>Fri, 16 Mar 2012 08:14:07 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>原発再稼動に野田政権の政治的決断など笑止千万</title>
            <description>政治家で大成するのは昔から厚顔無恥の人間という言葉があるが、民主党の野田政権に係わる国会議員を見て改めて思い出した。当初は国民も福島原発事故は想定外の津波によるものとして理解していたが、これまでの多くの調査や有識者の分析で防げる事故を起こしてしまったと言うことが分かりつつある。国会で進められている黒川委員長の事故調査委員会がどこまで事故の真相に迫れるかだが、政府の事故対策本部に議事録が残されていなかったり、東電の録画ビデオに肝心の箇所で声が録音されなていなかった事を聞くに連れて情けないのひと言に尽きる。子供でも嘘をついているのが分かる事を平気で言うのを聞くに及び、この様な国民が原発など保有してはならないと改めて怒りを感じる。然も、野田総理は福島原発事故の総括も終えていないのに原発再稼動を政治判断すると言明するに至り、野田と言う人間は政治家に最も相応しくないと驚いた。民主党の野田政権の行動を見ていると正に法非官僚そのものの考え方だ。原発再稼動に向けたストレステストに関して原子力安全委員会の見解が一次試験では容認できないと言う言質に対して、二次試験を実施しても同じことの繰り返しであり、短期に解決できない見解を受け入れる訳には行かないと嘯いた。野田と言う男は原子力について何が分かっているのかと言いいたい。政治家として原発の早期の再稼動を行いたいなら福島原発事故の総括を行い、総力を挙げて事故を防ぐ体制を構築し、再稼動は最低でも最新の原子力発電所に限定するべきだ。９電力会社の電力設備は全体的には過剰なことは周知の事実だ。全国の電力需給網を構築するには東日本と西日本を分断している周波数問題を大至急解決させることが必要なことだ。２５年以上前に円高で海外に工場移転が始まったにも拘わらず、電力長期需給計画を修正もしないで電力会社に指導してきた政府の責任は重い。特に、グローバル経済や少子高齢化により電力需要が急速に先細りするにも政府は電力会社任せで何も手を打っていなかった。それどころか電力自由化などを推し進め電力会社に効率経営を求めた結果が津波対策投資の先送りによって福島原発事故を誘発してしまった。政治家として原発の再稼動に対して遣らなければならない事は目白押しだが、何も遣らないで政治的決断とは恐れ入谷の鬼子母神だ。野田は松下政経塾で学んだそうだが、実業家の松下幸之助が国家や国民を考えた人物は思えない。一介の町工場から大企業に成長させた事業家の手腕は評価するが、飽くまで実業家としての手腕だけだ。政治家としての才能が有ったかどうか知らないが、松下政経塾の政治家が悉く国家と国民の役に立っていない事を考えると晩年に松下政経塾など余計な道楽をしてくれたと思わざるを得ない。今の政治家は官僚に聞くから法律の法を越えることが出来ず、国民の為になっていない。政治家は官僚の様に法律を守るのが仕事ではない。国民生活の為に法律を変えたり作るのが仕事である。議員立法の作れない政治家など国民に不要と言われる事を肝に銘ずべきだ。</description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/03/post-488.html</link>
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            <pubDate>Thu, 15 Mar 2012 08:18:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>構造構成主義のメタ理論は面白い</title>
            <description>前回のblogで&quot;文系と理系の対立&quot;を書いたが、私が批判した文系とは法律至上主義者のことと訂正しなければならない程、構造構成主義のメタ理論は衝撃だった。私は最近1冊の本を手にした。書店でタイトルは見かけたが、余りにも野暮なタイトル「人を助けるすんごい仕組み」が付けられていたので、興味はあったが買うまでには至らなかった。この本は既に20万部以上も売れているとの事なので、人口に膾炙していると思われ改めて紹介する必要もないのだが、本の中で述べられている構造構成主義と幾つかの言葉にこの年齢で気づかされた事があったので敢えて書くことにした。著者は哲学・心理学を学び、現在教える立場になっている少壮の学者さんだ。彼は東日本大震災のボランティア（ふんばろう東日本支援プロジェクト）で驚くべき大きな組織を作り上げ、行政など足元にも及ばない活躍をした。何が凄いかは構造構成主義という理論を駆使して学問の世界以外に経験していない著者がソフトバンクの孫社長の様な事業家に匹敵する手腕を発揮したことである。勿論、事業家の経験がなくても研究会で1000名規模の人を統括する組織の責任者の経験はあるのだが。何れにしても、彼が指摘する時代の変動が大きいときには哲学が必要であると言うくだりは、哲学に対する私の考え方が間違っていた事に気づいた。哲学がこれ程実践的なものなら若い時に勉強しておけば良かったと悔やまれた。著者が社会正義に不審を抱いていたボランティアの方にニーチェの言葉を引用して話した戦略的ニヒリズムなどに関しては私自身も社会の見方に対する考え方を変える契機となった。折角、構造構成主義という哲学に触れる機会が出来たので、著者流に言えば私も何かの呼びかけがあった一人と考えてもう少し構造構成主義を学んで見たいと思った。なお、本の終章では理系を学んだ者からすれば同調できないかもしれない運命論的な話題が出たが、著者からすれば偶然か必然かも構造構成主義で考えると対立する概念ではなく建設的な方向に導くことが出来ることになる。正に、複雑性の科学の二者択一理論と言い、今回の構造構成主義と言い、新しい時代を予感する学問が育ってきていることが分かる。</description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/03/post-487.html</link>
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            <pubDate>Thu, 08 Mar 2012 12:48:24 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>文系と理系の対立</title>
            <description><![CDATA[<p>米国の上下院議員の構成は文系出身者と理系出身者がほぼ拮抗していると聞いたことがあった。私はその話を聞くまで米国の議員は弁護士出身の文系が圧倒的に多いと勝手に誤解していた。翻って、米国の議員構成を聞いた当時の日本は圧倒的に文系出身の議員が多かったと記憶している。最近、日米の政治についてＮＹ在住の友人と話していた時に米国の議会も文系と理系の構成に変化がおきて今では文系出身者の方が多いと指摘し、米国が可笑しくなったのはその影響もあるかもしれないと彼は言った。それでは日本はと言えば、鳩山元首相と管前首相が理系出身の為に政治家として理系は向かない様な印象を与えてしまった。私は理系と言っても理学部系と工学部系があり、鳩山と管は理論重視の理学部系だから工学部系であれば違ったのではないかと思うのだが、理系の政治家は駄目だという声が大きくなり、鳩山も管も日本の政治における理系出身者にマイナスイメージを与えてしまった事は否めない。それでは過去の政治家、特に戦後の首相で理系出身者はいるかと探すと田中角栄がいる。私自身は田中について総体的には金権主義で官僚を堕落させ、無能な大臣を就任させて日本を駄目にした筆頭の政治家としてマイナスの評価であるが、個別的な政治課題の解決に振るった手腕は評価している。特に、日米繊維交渉では前任者の宮沢喜一が解決策を見出せなかったのに快刀乱麻を切る如く解決した手腕は見事であり、中小企業の経営者として経験と知恵が生かせた実績であった。この他にも、田中角栄と言う政治家は文系の政治家では考えられない様な多くの知恵を出した。田中角栄は理系出身と言っても建築工学なので芸術的な才能もあり、建物を設計すると言うより田中土建の経営者として工事施工で多くの経験を積んだために、時間軸やコストの意識が強かったと推測される。文系出身の政治家は法定主義に陥りやすく、時間の意識も希薄になる傾向が強い。今の国会を見ていると正に時間に関する意識が欠如していると思わざるを得ない。文系と理系の均衡がバランスを取ることは何も政治の世界ばかりではない。企業も同様に思われる。特に、米国主義の最近の経営は株主重視の短期利益を追求するもので法定主義の傾向が強い。このため、コンプライアンスなどを過度に重視し、マーケティング重視のガバナンスになっていると思われる。戦後の日本の経済成長は戦争で有能な文系出身者が失われ、理系出身のウエイトが高かったために成し遂げられたとも言われている。然しながら、バブル経済崩壊後に米国式経営を目指した日本企業はマーケティング重視と法定主義に陥り、日本企業の長所も失われてしまった。典型的な企業はソニーであり、長期的な視点にたった技術よりマーケティング重視で普通の企業になってしまった。当社の建築・不動産業界にも物づくりを軽視し、マーケティング重視に走り、コンプライアンスなどの法定主義に陥って破綻した会社も多い。勿論、私自身が理系出身なので理系出身者の欠点も熟知しているので、理系出身者を一方的に評価しているのではない。バランスを言っているのである。その様な視点から言えば、日本の官僚組織は文系重視に偏っているので法定主義に陥り自縄自縛となり、国民からバッシングされる存在になってしまった。この為に、福島原発事故に対する新たな原子力規制も法定主義の視点で進められており、技術的な視点が欠けた極めて問題が多いものとなっている。最近良い言葉を知った。出光興産の創業者の出光佐三翁の「モラルの奴隷になるな」である。内閣法制局が力を持ち、国会議員に対して悉く異議申し立てる姿は亡国そのものである。国会議員もダラシがないから最近は議員立法も作れない。文系出身者の現状維持を壊せるのは理系出身者であることを訴え、社会がバランスの取れたものになることを願いたい。</p>]]></description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/03/post-486.html</link>
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            <pubDate>Tue, 06 Mar 2012 08:21:16 +0900</pubDate>
        </item>
        
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            <title>今後の政局の動向</title>
            <description>民主党と自民党が話し合い解散で動き始めた。今年7月をターゲットに解散総選挙になる可能性が高い。理由としては、民主党は来年の任期まで待っても選挙に勝つ可能性は低く、この為に党の再生を掛けた勝負に出ると言う深読みだ。将来に掛けて打って出たのは消費税アップだ。次の次の選挙では評価されると考えて現状は憎まれ役を買って出る心境と思われる。更に、民主党の再生には小沢一郎を切り捨てることが重要との認識を高めたものと推測できる。仙谷議員が語った様に政権を獲得する為に政党を合併してから可笑しくなったとのことで政局を読むことが出来る。確かに、仙谷議員のみならず民主党の良識な議員なら誰しもが思う感想だろう。小沢一郎は一見して正論を吐いている様に国民には見えるが、民主党が政治主導で動いた時に小沢は何を行ったかである。政治主導として行った事は自民党の選挙地盤を切り崩す為に地方からの陳情窓口を官庁でなく民主党に切り替えたことである。この遣り方は昔の自民党の遣り方そのものだ。小沢の政治主導は政治改革でも行政改革でもなく、自民党と官僚の利権を民主党に奪うことであった。又、政治活動は野党を攻撃する代わりに民主党の反対派を攻撃することばかりに専念し、政権党の民主党を壊しただけである。この事に気づいた野田総理を取り巻く連中が漸く小沢を切る事を決断したと思われる。小沢としては、100名規模の議員がいるが殆ど一年生で次の選挙には勝てない連中だから民主党内に力を残す為には解散総選挙は避けなければならない事情がある。小沢は解散などさせないと発言しているが解散を決断した野田総理からすれば正に犬の遠吠えしか聞こえない。マスコミは野田が当初の発言の解散を引っ込めたと報道しているが、私から見れば逆である。解散総選挙を決断したからこそ解散に触れなくなったと推定できる。勿論、民主党の幹事長が小沢と親しいと言う理由で小沢が解散阻止できると読んでいる者もいるが、旧社会党の日教組上がりの幹事長は利に聡い筈だ。自分が選挙に勝てるかどうかが一つの判断であり、幹事長としてお金が使える立場で選挙を打ちたいと思われ、小沢の思惑が消える。野田総理としては解散総選挙を自民党に約束することで消費税増税の法案を通すことを決断したが、一方の自民党も橋下維新の会の動きに神経を尖らせた結果と思われる。解散総選挙が遅くなれば維新の会が勢力と支持を拡大するのは目に見えており、維新の会の準備が整わないうちの今年7月迄に選挙を行いたいと考えていると推定出来る。何れにしても、今後の政局は小沢切りと橋下維新の会の出鼻を挫くことで動くと思われる。</description>
            <link>http://blog.totakukikaku.jp/2012/03/post-485.html</link>
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            <pubDate>Fri, 02 Mar 2012 08:46:34 +0900</pubDate>
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